ガチャとバトロワから抜け出せない我々

ガチャとバトロワといったら近年のゲームを代表する要素であると個人的には考えている. これら2つがなぜ流行ったのかについてなんとなく考えたことがあったのでまとめたい.

もちろんここで挙げたものは他の趣味に当てはまることも多い. そのため一概にガチャとバトロワを悪というわけではなく,健全に楽しむためにこれらは次のような性質を帯びていると心に留めておくためのメモである.

雑にまとめるとこれらは承認欲求と確率報酬に相性が良いと考えられる.

SNS時代と承認欲求と同質化

これは挙げている人も多いだろう.SNS時代ではガチャの結果やバトロワのランクやプレイ動画を共有することが容易になった, この共有は

・ガチャ→引きが良かった場合に承認,悪かった場合はより悪い人を見ることで自己正当化 .バトロワ→高ランクであれば承認,低ランクである場合は高ランクな人に憧れや同一視

と言った結果を与える.もちろんこれは他の趣味にも言えることであるが,特にゲーム関連は性質上共有が容易であるために相性が良いともわれる.

これらに加えて,SNSは同質化も生む.ここで言う同質化とはフォロー関係によって同じような趣味嗜好を持った人物でTLが構成されることを意味する.このような環境では意見が否定されることは少なく,課金者は◯万円爆死といった事を共有しあって,より課金の沼に嵌っていくというような現象が起こりうる.同質化は同時に分断も生む.例えば課金者と無課金者の間の分断は生じやすくなるだろう. 課金者>無課金者,高ランク>低ランクといった思想を生みやすく,課金者や高ランク者が自らを正当化し,承認を得ることができる機会が増加することとなる.

飽食の時代において承認欲求は最も強力な欲求の一つである.

確率報酬による報酬系ハック

人間の脳は確率報酬に対して大きな快感を得るというのは広く知られているところだろう. エビデンスも様々あるだろうが,ちょっと面倒なので割愛させてください… 私は確率報酬を狙って提示することを個人的に報酬系ハックと呼んでいる.

この報酬系とガチャの噛み合いは凄まじいのは言うまでもない.また,ガチャは排出率が確率固定なため手に入れたものの希少価値がある程度保証されており,それも報酬系ハックに寄与してるんじゃないかと思う.

バトロワは関係無いんじゃ?と思うが個人的にはそうでもないと思っている. バトロワ系ゲームは様々なところにランダム性(アイテムの湧き場所など)が散りばめられている上,参加人数が多いために確率報酬の性質を帯びていると考えている.(少なくとも主観的にはある程度運ゲーに思える) これに加えて,レーティングシステムというのが凄まじく,レーティングが正常に機能する限りはすべての試合が50%で報酬を手に入れられるゲームと化す.それはバトロワよりレーティングシステムの問題じゃね?というのはそれはそうだが,触れないわけにはいけないのでここで触れた.

確率的に明確な報酬提示をするシステムに人間の報酬系は抗えない

責任の不在

ガチャは完全な確率ゲーなので単純だろう.引く側に責任はまったくない. バトロワも単純だと思う.人数が多いしときにチーム戦であるバトロワはうまくいかなかった時の責任を他人に押し付けることができる. そしてそれをSNSに共有すればそれに賛同する人も集まってくる.

自分に責任がかからない,もしくは回避できる環境は自己が否定されることが無いということであり,自己承認的に非常に有利である.

サンクコスト効果

サンクコスト効果とは例えばガチャで1万円課金して目当てのキャラを引くことができなかったときに,そこで撤退することができない心理を表す.ガチャに関しては明確であろう. バトロワについては,ランクがサンクコストとなる.時間をかけて手に入れたランクやSNSでの地位を手放すことは難しくなっている.

実物を扱うような趣味では中古で売るという選択肢のおかげでこのサンクコスト効果は多少薄くなる, ゲームに置いてはそのゲームを離れたら何も残らないためサンクコストは非常に重くのしかかる.

最後に

ガチャやバトロワに次のような性質が有るからと言って,それだけで売れるわけでは当然なく,これらはゲーム自体の面白さやキャラクターと揃うことで初めて本領を発揮する. ゲームのヒットについて語られるときはゲームシステムやキャラに焦点が当てられることが多いし,実際そこがゲーム各社の力の入れどころであり,凄いところである.

一方で語られることの少ないベースシステムの持つ性質について気をとめることは必要だろうと思い今回まとめた. 特定の会社やゲームを貶める意図は無いです.